現在の血液透析と言う治療では,(4時間未満は論外としても)高々4?5時間と言う短時間で,腎臓と同等の透析効果を得ることは,どう考えても不可能なようですが,それでも可能な限りの腎臓機能を代用したいものです。それは患者だけでなく,医療者側でも同じ事でしょう。
その場合のアプローチとして,
? 透析回数を増やす
? 透析時間を長くする
? 透析効率を高くする
が当然のように検討されて然るべきですが,
? 保険適用の関係から14回/月の壁
? 保険適用(5時間以下)とベッド回転数の壁
? 心臓への負担
を理由に,積極的な医療機関が少ないように思われます。しかしそれぞれ,
・ 週3回で生じた黒字分を週4回で足が出る手技料に転化できるのでは
・ 収容患者数が減るから儲けが少なくなるのであって,儲けを少なくしても時間を長くすると言う発想になっていないのは本末転倒
・ そもそも500?1000ml/minもの血流が生じると言うシャントが形成された時点で「心臓への負担」は増したわけで,透析時に少し分流したからといってシャント流が増えるわけではない
※ 特にこの件は,「やっと見つけた」に詳しく述べられています
と言えますから,?,?は医療機関側の努力と,行政の指導の有り方に問題が有ると思われ,最も直ぐに行えるはずの?(高効率)が「200ml/minが標準」で済まされているのは,脱血状態のみに主眼を置くからで,辺血される事で相殺されていることに気付かないとも言えそうです。
最近,愛腎協の「適正透析のガイドライン」と言う項目に【血液流量と死亡相対危険率】というDOPPS(Dialysis Outcomes and Practice Patterns Study)からの報告が載っていますが,これを見る限りにおいても「血流量は多ければ多いほど予後がいい」と言えます。勿論「可能な限り」と言う但し書きは必要ですが。
と言うことで,週4回以上はダメ,4時間以下しかダメと言うような施設透析では,せめて血流量を増やすよう指導していただきたいモノです。
あ,勿論HHDの場合は「頻回OK」,「長時間OK」ですから,血流量は二の次で構わないでしょう。
だからこそ「HHDはおススメ」な訳です。
コメント
諦めないで下さい!医療者側に諦められたら,患者はどうすれば・・・
私のように頭でっかちになってしまった患者でさえ,結局スタッフの方のバックアップが有ると信じているからこそ安心して居れる訳で,もし本当に自分一人で何でもやれ!と言われれば,直ぐに路頭に迷うだろうという自信があります。
透析医療というのは「生命維持」と大層に考えると滅入りますが,さっさと「生活の一部」にしてしまうことですね。で,健腎者並の予後,活力が得られればそれが理想ですね。
医療者側も日々努力,患者側も諦めずに健腎者並を目指す。だからHHDを選んだんですけど・・・
ジェネリック・・・確かにそうですよね。私が最近思うことは、『結局みんな他人事なんだなぁ』ということです。いくら私が熱く訴えようが、やらない人はやらないんですよ。自分や身内のことならもっと深く追求するはずなのに・・・。最近は半分あきらめがはいってきました。だからもっと患者さんが吠えなければ!!そう思います。私ももう少しあきらめずに吠えるつもりです。
T・Hさんの様に熱い方が,もっともっと医療関係者に現れるべきなんですが,仰るように患者側の気持ちの持ち方も大事ですね。
一応,医療機関はサービス業に分類されるんでしょうけど,患者と医療者の関係はどう見ても顧客とサービス提供者の関係ではないですよね。まるで高利貸しにお金を仮に来た債務者の様。・・・この辺が,引け目と傲慢の逆転現象が起こる所以か?
でも患者としては自分の命。とことん納得のいく治療を求める努力ぐらいはしないとね。
なのに高慢ちきな医師がいて「それがどうした」「そんな事なぜ聞くの」「そんな事で来たの」などとおおよそ自分がサービス業に身を委ねていることに全く気付いていない輩がいる事に腹が立ちます。
悔しいかな,それでも患者は頭を下げてお願いするしかないんですけど・・・
ジェネリック薬品も,こちらからお願いするCMが流れていますが,どう考えてもおかしい?・・・そんな事頼める患者がどれだけいるんでしょうか?当然,医療者側が「ジェネリックと言って云々・・・どうしましょう」とアドバイスしていただいてしかるべきでは無いでしょうか?
1つ追加を・・・
私の経験上ですが、透析導入時、拒んで拒んでとことんまで苦しい思いをしてきた人のほうが、早期導入で尿毒症の苦しみをあまり感じなかった人より透析のありがたみというか自己管理やら良い透析への思いは強いように感じます。
医者やスタッフの発言は大きな影響を与えることが多々あります。だからこそ、よく学び、アンテナを張って常に情報を得、人として成長し続けなければならないのが、医療人の使命なのです。しかし残念なことにそういった人物ばかりでないのが現状。では、どうするのか?患者自身が生命を敬い、自分を大切に生きることだと思います。その思いは必ず伝わるはず。そう信じています。Zeroさんのように信念を持って『生きる』人が増えれば必ず世の中変わるはずです。正義が勝つ世界でなければいけないのです。悲しいことに自分の身は自分で守らなければならないというのが現状なんですよね。
一夜明けて読み返してみると,T・Hさんの仰っていることと,私の返答に少しずれが見られますね。じゃぁ・・・スッキリした頭で・・・ :-p
患者側の意識の持ち方ですが,看護師さんや臨床工学技士の方々には「甘え」の気持ちを抱いてしまうのは確かだと思います。医師に話せなくても,スタッフの方々にはどちらかというと「甘え」から来る要求をしがちな様に感じています。
一時的な入院でさえそうなんですが,透析医療ともなると「終わりのない治療」な訳ですから,ますます心細さから来る「甘え」が生じてしまいます。
「もうどうでもいい」と言う感情を抱いたこともありますし,そう言う患者に対して「勝手にすればいい」と放任される看護師さんをお見受けすることもありました。
また,判でついたような答えしかされないスタッフの方もおられ「もういい」と思うこともありました。
しかしこれらの甘えも,患者側が「面倒を見て貰っている」と言う引け目,スタッフ側が「面倒を見てやっている」と言う傲慢が有るとすると,ギクシャクした関係になってしまい,お互い心を開けずじまいと言うことも有るように思います。・・・この辺は,私が通った前施設に特化したことかも知れませんが・・・と言うのは,現施設ではすっかり様子が違いましたから・・・この辺は,トップの考え方次第なのかも知れませんが,個々のスタッフの気持ちの持ち方一つで,患者も変わるという事ではないでしょうか。
時には甘やかして,時には厳しく。子供躾けるが如き忍耐が,スタッフの方々には必要でしょうね。患者側は・・・貰った命を大切にする気持ちも以て,少しでも長生きしようと言う気構えだけでも・・・頑張るとか努力するというような「力み」は少なく。 ^^;
あぁ・・・やっぱりスッキリしていない。
T・Hさん,貴重なご意見を有難うございます。書き掛けの記事をそのまま投稿してしまいました。^^;
仰るとおり,私が透析を始める頃は,かなり葛藤がありました。嘔吐を続け,フラフラになりながらも透析導入を拒んだものです。
ただ,いざ導入して結果が良好だった事もあって「生きる」と言う事には,前向きになれました。廻りの透析仲間との触れ合いも少なからず自分を勇気付けてくれました。
しかし,透析時間は元より,ぐるぐる廻る血液ポンプを見ていると,血流量200ml/minでも「すごい事」に見え,もうこれ以上は身体が持たないのでは?と思ったものです。また,医療関係者も「アメリカでは300ml/min廻すけど日本人は200ml/minで十分」と言い続けていました。私も納得していました。
医療関係者の発言は両刃の刃のように思います。それを患者がどう受け取るかにもよりますが,私は結構無責任な発言に振り回されてきました。
で,方々で情報を得るごとに,施設透析で最も可能な「楽な透析」の手がかりが,高流量ではないかと信じるに至ったのです。2年前には考えられない事でした。
HHDが究極ではなく,施設透析でも出来る事はいっぱい有ると思います。しかし,HHDが可能な環境であれば,是非移行する価値は有ると,今なら言えます。^^;
あぁ・・・支離滅裂になってしまった・・・この話題は何れ仕切りなおしで・・・
4時間・血液流量200ml/minは単なる延命治療の基準であると私は考えています。Zeroさんのおっしゃるとおり、腎臓と同等の透析効果を得ることは,どう考えても不可能でしょう。医療機関側の努力と,行政の指導の有り方にも大きな問題があると思います。しかし、忘れてはいけないのが『患者本人の意思』です。多くの透析患者は『癌宣告』と似たことを経験しています。「あと何年生きれるのだろうか?もう未来に望みはない」Zeroさんは経験しませんでしたか?「腎臓病と戦おう・透析とともに生きよう」そう思えるまで何年かかりましたか?多くの患者はいまだ受け入れられずにいるのです。時間を延ばすこと、血液流量を上げることを拒む患者は後を絶ちません。「あと、2・3年生きれればそれでいい」「いつ死んでもかまわない」そういったことを口走る患者もたくさんいます。どこまでが本心なのかはわかりませんが、それはその人の『価値観』なのだと思います。こちらが「あと1時間延ばすだけ」とおもっても、ある患者にとって「その1時間を透析にあてるくらいなら死んだほうがましだ」とまで考えているのです。『儲け主義』の医者もいれば「折角いい治療を提供しようと言うのにそれを受け入れられない患者は馬鹿だ」的な発言をしている医者もいるようです。どちらにしても、施設側はしっかりとした情報を提供し、患者側はそれを理解することから始めなければ、日本の医療は変わらないでしょう。少しずれてしまいましたが、患者が『もっと生きたい』と叫ばなければ現在の透析事情は変わらないということです。HHDの普及がそういった患者を増やすことにつながればと願っています。